
えー、先日ガンズアンドローゼスのライブにご招待いただき、マタンキクルーは東京ドームへ
行ってきました。
僕は回転石楽団の演奏以来のドームでしたので冬の寒空の下、心躍る気持ちを抑えきる事は出来ませんでした。
まてよ、
ご招待?
また大見栄っぱりのコンコンチキめ。どうせちゃんとチケット買って入場したんだろ?
ひがみやっかみ先生、ちょっと待ってください。
我々はちゃーんとご招待されたのですよ。
正面玄関の1フロア下に、ゲスト用の入場口があるのです。
ネットの世界は恐ろしいくらい情報が早いのです。
マタンキクルーも世界のロックバンドの一員として認められたのかもしれません。
WE ARE THE WORLDをみんなで熱唱する日もそれほど遠くない気もしてきました。

金額を見てください、我々はこんな大金自腹で払いたくありません。
我々のようなオッサン世代なら、誰しも知ってるガンズ。
しかし、現在はボーカル以外のオリジナルメンバーはおりません。
嬉しいような悲しいような。
新しいアルバムの発売記念も兼ねているのですが、どうも昔とは様子が違います。
昔の曲が始まるとみんな大喜び。
ガンズファンは狂ったように叫んでいます。
バンマスも盛り上がって、うっかり原選手と一緒に記念撮影。

僕は野球に関しては王選手しか知りませんが、かつては野球少年であったバンマスにとっては
神様的存在らしいのです。
スラッシュに会えなかった分、嬉しさもひときわだったように思えます。
そう、ガンズと言えば、ギターヒーローのスラッシュにアクセルのボーカル。好きな人から言わせるとスラッシュの雑な弾き方が現在在籍のギターには無く
うまいんだけど、つまんない的な、気の抜けたコーラみたいな印象があったようでした。
そうこう観ているうちに、バンマスと僕は
(本物を観て)「これなら俺らでもイケるな」
というナゾの自信が湧いて来て、お互いうなづいておりました。
要はアクセルしか居なくなった現在のガンズは、もはやガンズではなく
ガンズのコピーバンドをバックにアクセルが唄っている。
(ガンズの音、演奏のクオリティは当然素晴らしいのは言うまでもないのです)
という認識に変わったのでした。
ラーメン屋の店員によって同じ店でも味が違う、みたいなもんすかねえ。
コピーって仮説をたてれば、条件としてはマタンキクルーも同じ。
やってるメンバーがこんだけ盛り上がってるんだから、むしろ俺らが出たほうが盛りあがんじゃねえの?
なんなんですかね。この感覚。
あくまで客観的な視点で論じているだけで、別に自分たちを褒めているわけでもないんですが。
メンバーが不良で、雑多な感じと何かが起きそうな期待感。
かつてのガンズはどこにいってしまったのか?
ナゾな社会派となったアクセルの中国民主主義ツアー。
ともあれ、3時間半に及ぶビッグステージ。このパワーはハンパありません。
ご招待して頂きありがとうございました。
みんないい勉強ができたと思います。
やはり僕たちに必要なものは「らしさ」なのだと痛感したわけであります。
「似て非なり」の「非」は、
先進的、そしてより高度な美学を用いるがための「非」であるということ。
もはやそれは必然と言って過言ではないでしょう。
チンポンテラリーだかコンテンポラリーだか知りませんが、G3とそのような話をしたとき
ふと、ポストモダン以降の世界に有る我々の立脚点を垣間みるような、そんな感覚を覚えました。
自画自賛的な言葉ばかりで恐縮ですが、
マタンキクルーは何の臆面も無くやってるコピーバンドであることは間違いありません。
しかし、活動という土台が出来た以上、活動そのものを対象に自己批判し、消費し、
完全なる自律を目指して成長し続けるバンドなのです。そこが今風なのかもしれません。
この概念は画期的で、アホなら誰でも出来るところが素晴らしいのです。
そしていつか俺らも。と、ドームでライブする姿を想像しちゃうくらい、アホなんです。

次回のライブはちょっと違ったマタンキクルーを体験出来ると思います。
コッ恥ずかしい事だって何のその。へっちゃらです。
追伸
80年代後半以降からの現代美術の作品で、
作家自身の「身体」を用いた作品をもう一度観てみたくなりました。
ギルバート&ジョージとか、あらためてじっくり観たいですヌ。
森村泰昌の「薬師丸ひろ子」観て爆笑したいです。
あと、メンバー全員の彫刻を、ジョージシーガルに石工で作って欲しいなあ、と思いました。
これ、かなりイケてると思います。
言い出すとキリが無いですが、キンタマ繋がりでマシューバーニーのクレマスターシリーズに
出演させてもらう。というのもアリですかね。
ドゥフ....
posted by sexysugi at 23:06|
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